リモートワークを3年強やって思うところを書き殴ったもの

諸事情により、近々リモートワークについて自分の私見を述べる機会が発生した。

考えるほどに「そもそも自分はリモートワークについてどう考えている(いた)んだっけ?」と深みにはまっているので、一度ここに全部吐き出してみることにする。

注意事項

すべて個人の意見であり、特定の個人・組織に関しての何らかの意図は一切無いです。また、脳内整理のために書き殴った文章なので色々アレですがご勘弁ください。

なぜリモートワーカーになったか

自社サービス開発をやってみたかったが、富山で思い描くような仕事は難しそうだった。かつ、家庭の都合もあり「単身都会へGO!!」とかは無理だった。

リモートワークという働き方は以前から知っていたので、

  1. 思い描くような仕事ができる
  2. リモートワークでも可

という考えで仕事を探した結果今に到る。やりたいことありきで、「リモートワークをしたかった」わけではない

現在で3年強リモートワークをしている。

リモートワークでよかったこと

一般的に言われるリモートワークのメリットは自分も感じることができた。

  • 通勤時間から解放される(以前は片道40分くらいで車通勤してた)
  • 静かで集中しやすい

ただ、結局のところ「地元縛りでは辿り着けなかったであろう仕事ができていること」が一番のメリットに感じている。

他にリモート関係で良く聞く話として

  • 家庭の都合にあわせて柔軟に動ける
  • 学習・趣味に充てる時間が増える

などがあるが、これは一部はその通りで、一部は自分は当てはまらないなと思ってる。

家庭の都合にあわせて動いているのは事実なのだけど、これが「リモートワークだから実現しているか?」と言われるとNOだと思う。

これはリモートワークという働き方というより、会社の姿勢によるものが非常に大きく、たとえばリモートワークでもめっちゃ勤務時間長かったら違う世界線になってるはず。

学習・趣味に充てる時間が増えたかどうかは、自分はまったく該当していない。以前から技術的な学習はある程度やってはいるが、そこに費やす時間は特に増えてない。基本的に自分は怠惰で、増えた時間はどうなったかというと、単純にゆっくりのんびり過ごす時間に当てている。悪く言うと特に何もしていない。人間、急に時間が増えたからと言ってそれを有効活用できるかどうかはまた別の問題。

とはいえ、ゆっくり休めることで仕事自体も集中できている感もあるので、悪いことだとは思ってない。

リモートワークで困ること

リアルな場で集まった方が捗るものが確実に存在していて、そこはいつまで経っても解決してない。たとえば、プロジェクトのキックオフや、アプリケーション開発時のざっくりとした全体設計をする際などは、ホワイトボードの前で付箋を片手にワイワイやったほうが絶対早いし、一体感が出る。

また、意識しないと雑談が減ってしまうな〜と感じている。オフィスの廊下で何気なく談笑するみたいな、ちょっとした時間が自分は結構好きだったんだなって後になって思った。

ただ、これは「ほらね、こんなにリモートワーク大変でしょ」ということではなく、どんなものもメリット・デメリットはあるんですよって話だと思ってる。

困るのであれば困らないように工夫すればよいし、いまとなってはそのためのツールやノウハウはたくさんあると思う。

自分が体験したものでいうと、ホワイトボードをmiroやjamboardなどで代替したり、雑談のための時間を作ったり、雑談用Dicordチャンネルを作ったりといった具合。完全に同じ体験とはいえないけど、いくらかマシになる。

世の中のイメージと一致してるところ・違うなってところ

「運動不足になるでしょ」

はい。

そもそも自分は元々運動不足で、リモートワークになったことで、唯一体を動かすための通勤すら無くなってしまった。

ただ、「明らかにこのままでは死んでしまうな」という感じが湧いてきて、ここ半年ぐらいは毎日リングフィットアドベンチャーに勤しんでる。(プランク3000回やった)

改めて考えると、結果的には運動時間めっちゃ増えてるやんという謎現象が起きている。

「子供見ながら優雅に仕事できそう」

だいぶ厳しい。もう少し正確に言うと、可能だが凄まじく生産性が落ちて、やれる仕事が限られる。

コロナ前までは保育園様のおかげで安心して仕事ができていたが、我が家も無事に登園自粛の影響を受けて、在宅で子供を見ながら仕事をしてた。

本音を言うと「まぁ、そうはいってもなんとかなるっしょ〜〜」と思ってたけど、だいぶ無理でした。

とくに、一定の集中を求められる作業がだいぶキツかった。コードを書くのが特に厳しくて、単純なリファクタリングのような作業はできるけど、設計から挑むようなものは途中で声をかけられて思考が途切れてしまい、もう無理だなってなってた。

また、子供が退屈そうにしているのを放置している感にもすごく罪悪感があって、想像の倍くらい疲弊してた。

幸い会社に理解があったのでなんとかなったけど、誤った理解を持っている環境での仕事だったらと考えるとゾッとする。

「在宅勤務なら子供家で見れますよね」という考えは幻想だと思う。

「なんか楽そう」

YESでもありNOでもある。

リモートワークによって得られる恩恵は確かに良いものがあって、お昼休みにゆっくりリビングでテレビ見ながら冷凍食品食べていられるのは快適だな〜と思う。

ただ、仕事面では全然そんなことはなくて、むしろ気を払うところが増える。

たとえば、テキスト上のコミュニケーションでは「わかりません。」とだけ一言だけ書くと「ちょっとわからない部分がある」「全然わからない」「あなたのことが理解できない。」のどれにでも受け取れるわけで、期待通りのやりとりができるように、ひとつひとつの言い回しを気をつけてる。

また、オフィスでは働いている過程が見えるため、成果物がなくても「頑張ってたけどダメだったんだな」と勝手に理解してくれることもあるが、リモートワークだと「成果物なし」で終わってしまうリスクがある。そのため、成果物として何を出せているか or 過程をいかに表現して細かく伝えていくかを意識し続けないといけないな〜と感じてる。

人との物理的な距離が近かったことで省略されていたことを、リモートになると目に見える形にしていかねばならないコストは、ある程度はリモートワーカーのひとりひとりが担う必要がある。

「仕事サボってるかどうチェックすんの?」

「本質的に意味のない疑問である」が答えになりそう。

そもそもリモートワークでサボる人は、オフィスでも仕事してる感出してるだけでサボってる。これはリモートワークに長い間関わっている人と話すとだいたい同じ意見になる。

これはおそらく「仕事 = かけた時間」という発想だと出てくる疑問なのかもしれない。時間をそのまま価値に置き換えていると、「ただ存在するだけで良いじゃん!」という不動産みたいな発想になる。

リモートワークにおいては、人が働いている時間を管理するコスト自体が非常に高いというか、人が働いているかチェックする仕事があるとすれば、それ自体が意味ないなって気がする。

大前提として「自分たちにおける仕事って何?」という発想を持った方がよいのかもしれない。

リモートワークで大事にしたほうがいいこと

リモートワーク / 非リモートワークの壁を減らす

「リモートワークの人」「オフィスの人」みたいな垣根は限界まで減らした方が良い。

たとえば、自分の現在の働き方では全員がリモートワークに関する制限が無いスタイルで動いているが、それでも一応オフィスは存在していて、オフィス数人&自分リモートみたいな形のミーティングをすることもある。その際は、全員がリモート慣れしているにも関わらず、オフィス側との若干の温度差というか、喋りづらさは発生する。

おそらく意識せずにやってしまうと、オフィスの人だけで喋ってしまってリモートが置いてけぼりと言った状況は簡単に発生する。

リモートワークでは特有の課題が多く発生していくが、「リモートワークの人」「オフィスの人」といった区分けを作ってしまうと、リモートワークの課題は「リモートワークの人の課題」になってしまう。

解決も遅れるし、何なら協調しないと解決できないものもあり、結果的に全体がマイナスになる。

たとえば「オフィス側のマイク品質が悪くてめっちゃノイズが入る」といった場合、リモート側が言わないと永遠に解消されない。逆に、全員がリモートワーク前提であれば、「全員の共通課題」になるため、効率よく解決していくことができるし、共感も得やすい。

一緒に働く人の間で、情報や温度感をできるだけ減らしていく必要があると思う。

リモートワークだけ可能にしてもダメだとおもう

リモートワークは「家やコワーキングスペースで自由に仕事ができるようにしたよ!よかったね!!!」で終わりじゃなくて、全体の制度だったり姿勢も伴っていないと破綻するか、どこかで歪みが生まれてきそう。

たとえば「サボってるかどうかどう判断すんの?」みたいな発想よりかは、「そもそもサボらないような信用のおける人をコストをかけて採用する」「評価の仕組み自体を見直す」といった方向に舵を切る方が健全。

「リモートワーク以外を全てそのままでリモートワークだけやれるようにする」というのはだいぶ無理があるというか、かなりの縛りプレイになるので、高難易度なんだろうなぁと思う。

性善説のほうが良さげ

基本的に一緒に働くメンバーを信用して仕事したほうが捗ると思う。

正直自分は人を疑ってしまうタイプで、街中で向こうから話しかけてくる人はすべて詐欺師だと思えぐらいの感覚で生きている節があるが、いま一緒に仕事をしているメンバーは全員信用・信頼している。

信用しているからこそ、たとえば仕事で成果が出なかったとしても「何か困ってるだろうから助けられないかな?」と思えるし、自分もビビらずに助けを求められる。テキストベースで短い文章でも「これは攻撃的な文章だ」と受け取ることはない。

さらにいえば会社と個人間でも性善説であれば「サボってないか椅子に座っている時間をチェックしよう!!」みたいな方向に発想が飛ぶこともなくて済む。

ただ、人を信じるためには信じられる人とチームを構築する必要があって「はい!!明日からみんなお互いを信じましょう!!」みたいな学級会みたいなことは出来ない。時間をかけて、状況によっては小さいチームから醸成していく必要があるんだろうなぁと思ってる。

今後さらにリモートワークは増えていくか

増えていくと思う。

誰もが知ってる通りコロナの影響で多くの企業が問答無用でリモートワークと向き合うことになっていて、同時に、実際やってみて「なんだ、リモートいけるやん」となったところも多いと予想してる。

コロナで今後どの程度世の中が元に戻ってくれるのかはわからないけど、わざわざ投資した設備や整えた制度を全部は捨てないだろうし、今後も継続してリモートワーク可能になっていくところは増えていきそう。

地方には関係ないか?

死ぬほど関係あると思う。

リモートワークを導入した企業がある程度落ち着いて、次に何があるかを考えると、採用活動の対象が全国に広がっていくと予想される。そうなると地方企業は関係がある無いとか以前の問題で、働く内容や賃金面で圧倒的に好条件を叩き出す都会圏の企業と人材を奪い合う形になる。

そうなると地方企業的は今まで通りの採用活動では人材確保のハードルが上がるため、対策として手っ取り早いのは、地方でもリモートワークで全国を対象に採用することになりそうだなぁと思う。

まあ正直自分がリモートワーカーなので「そうなってほしいな」という気持ちが無いと言うとウソになるけど、そういう未来になったほうが、働く側にとっても居住地に縛られずに柔軟に仕事を選べる理想的な環境になるな〜と思ってる。

リモートワーク最高?

と思われがちだが、自分はどちらかというと「リモートワークしなくていいならしたくない」派。どこでもドアがあったら出社する。ドラえもんはやく。

自分はリモートワークは目的ではなく手段であるとずっと思っていて、「何かを得るためにリモートワークという方法で実現する」という発想は常に持ってる。

もし今後、環境を変えてリモートワークという働き方を検討している人がいれば「なぜリモートワークをしたいのか?」を熟考したほうが幸せになれそう。

決して楽しいことばかりの働き方ではないけど、リモートワーク以外の部分で根本に思っている部分があれば乗り越えていけるんじゃないかなぁと思う。


おわり